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大阪家庭裁判所 昭和37年(家)2347号 審判

申立人 新保情子(仮名)

相手方 林悟(仮名)

主文

相手方は、申立人に対し金九〇〇、〇〇〇円の支払をせよ。

理由

(申立の要旨)

一、申立人と相手方とは、昭和二六年一二月五日に結婚式を挙げて事実上の婚姻生活に入り、昭和三一年四月二四日に正式に婚姻届をしたが、昭和三五年九月一八日以後別居生活をしていたもののところ、昭和三七年二月七日に協議離婚の届出をしたものである。

二、相手方は、結婚以前から印判の彫刻販売を業としていたが、申立人と結婚した当時は、店舗こそあつたが、形だけのもので、収入極めて乏しく、挙式の費用も持合せないほど生活に困窮していたもののところ、結婚後、次第に営業成績が向上し、昭和三〇年頃店舗の改造を行つてからは、ますます繁昌して、昭和三五年五月当時には、申立人が承知しているだけで、大阪ガス株式会社株式六、〇〇〇株等株式総数一四、〇〇〇株、当時の価額一、四〇〇、〇〇〇円、電話債券額面一二〇、〇〇〇円、野村証券株式会社投資信託八〇口当時の価額五五二、九三〇円、各種預金七五五、〇〇〇円合計二、八二七、九三〇円の財産が増加していたが、その後離婚するまでの間には、優に四、〇〇〇、〇〇〇円を超える財産が蓄積されていた。

三、このように財産が増加したのは、申立人が別居までの九年に及ぶ結婚生活の間、主婦として家事一切を処理し、数名の店員の身の回りを世話しただけでなく、注文取りや集金のためスクーターに乗つて得意先をかけ回るなど、なみなみならぬ内助、外助の功を積んだ獻身的な努力が、多分に寄与しているものである。

四、ところで、双方が離婚しなければならなくなつたそもそもの原因は、相手方が、申立人に対し重大な産待と侮辱を加えたことに在り、その責任は、もつぱら相手方に在るものである。

五、したがつて、財産分与制度の趣旨を潜在的持分の清算、あるいは離婚後の扶養に在るものと解すれば、増加財産の半額二、〇〇〇、〇〇〇円、この制度に離婚による精神的損害に対する賠償を含む趣旨が在るものとすれば、さらに五〇〇、〇〇〇円を、相手方は、申立人に対し支払う義務があるものである。

六、そこで、しかるべき財産の種目、額につき、相当の方法による財産分与を求めるべく、本申立に及ぶ。

(判断)

一、当事者双方に対する審問の結果及び申立書添付の戸籍謄本二通を総合して、申立の要旨一の事実を認めることができる。

二、そうして、当事者双方に対する審問の結果、調査官蓑郁枝の各調査の結果に、申立人提出のメモ(手帳)、日本セメント株式会社、株式会社神戸製鋼所、株式会社大丸、大阪ガス株式会社、野村証券株式会社大阪支店、大阪銀行生野支店、三和銀行生野支店、平野信用組合生野支店、大和銀行生野支店、大阪地方貯金局に対する各調査嘱託の回答書等を総合して考え合わすと

(イ)  相手方は、昭和九年以来印判の彫刻販売を業としていたもので、昭和二一年秋頃に、大阪市生野区舎利寺町一丁目六番地に店舗を借り受けて商売を始め、暫くしてこの店舗とその敷地を買受けたが、申立人と結婚式を挙げた昭和二六年末当時には、この不動産の他には、若干の商品類を除いては、目ぼしい財産はなく、預貯金も全然なかつた。

(ロ)  申立人は、結婚以来、相手方から受取る僅かの家計費で巧みに家事一切を切盛りし、相手方の身の回りはもとより、住込みの使用人の世話までして、内助の功を積み、段々商売が繁昌に赴くに連れ、相手方に代つて、注文取りや集金にもかけ回つた。

(ハ)  営業は、当初は印判の彫刻とその販売が主であつて、使用人は内弟子一人であつたが、そのうち葉書名刺の印刷の附帯事業も段々と繁昌し、使用人も一時は三人に増やしたことがあり、離婚当時の得意先は三〇〇軒もあり、月収純益が一〇〇、〇〇〇円もあることがあつた。

(ニ)  そうして、昭和三五年五月当時において、相手方名義の資産は、上記宅地建物を別として、おおよそ次のとおりであつた。(株式、投資信託は当時の時価)

(1) 株式 一四、五〇〇株 一、四〇〇、〇〇〇円

(2) 電話公債 二口 一二〇、〇〇〇円

(3) 投資信託 八〇口 六一八、六四〇円

(4) 預貯金 約七五〇、〇〇〇円

約二、七九〇、〇〇〇円

(ホ)  相手方は、その後上記株式の一部を売却して買替え、投資信託を売却し、預貯金の引出預け替をし、結婚当時において株式の価額は大幅に値下りしたが、昭和三五年九月に申立人が相手方と別居するまでに更にいく分増加したはずの資産と合せて、昭和三七年二月に離婚した当時において、申立人が事実上婚姻した昭和二六年末以来相協力して蓄積した資産の価額は、当時の価額により二、〇〇〇、〇〇〇円を下らなかつたが、現在における資産の内容は、一部を除いて明確でない。

(ヘ)  申立人が、昭和三五年九月に別居するまでに昭和二八年四月に約二週間、昭和三〇年七月頃約一ヵ月間、昭和三三年七月中旬から同年九月中旬まで約二ヵ月間家出したことがあり、いずれの際も、相手方が申立人に対し乱暴をしたのが原因であつて、三回目のときは離婚を決意しての家出であつたが、うやむやのうちに和解し、帰宅して同居を継続することとなつたもので、最後のときも、相手方が度重なる乱暴をしたので、申立人は、またも離婚を決意し家出し、アパートを借受け、文房具店の店員として自活していたもので、離婚後引続き同文房具店に勤務し、一ヵ月一二、〇〇〇円の給料を受けつつある。

(ト)  相手方は、申立人と離婚後、従前の店舗を敷地とともに他人に売渡し、一時寝屋川市に住居を構えたことがあるが、現在は所在を明確にせず、したがつて営業を継続しているものかどうかも不明である。

(チ)  申立人は、離婚に際し、相手方から電気冷蔵庫一台(昭和三四年一二月購入、価額五〇、〇〇〇円)及びステンレス流台一台(昭和三四年一二月購入、価額三〇、〇〇〇円)の分与を受けた。

などの事実を認めることができる。

三、そもそも、内縁関係から正式の婚姻がなされた場合の財産分与は、内縁の当初からの事情を考察してその額を決定すべきものと解されるもののところ、上記認定の諸事実を総合して考えると、離婚当時における相手方名義の増加財産二、〇〇〇、〇〇〇円の三分の一たる六六六、〇〇〇円(一、〇〇〇円以下切捨)について、申立人の潜在的持分があるものと認めるを相当とし、離婚の責任の所在が相手方に在るところから、慰藉料として、相手方は申立人に対し三〇〇、〇〇〇円の限度の支払義務があるものと認め、さきに分与せられた電気冷蔵庫一台及びステンレス流台一台の分与時における客観的価額を六六、〇〇〇円と認定し、相手方をして、申立人に対し九〇〇、〇〇〇円を即時に支払わしめるを相当とする。

もつとも、昭和三五年九月の別居以後において、相手方から、申立人に対し五〇、〇〇〇円を交付したことは、蓑調査官の調査の結果により明らかであるが、それは、婚姻期間中におけるもので、相手方が申立人に対し、婚姻費用を任意分担したものと認めるを相当とし、この際財産分与の一部として、これを導入することは相当でない。

四、そこで、本申立を認容して、主文のとおり審判する。

(家事審判官 水地巖)

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